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郷土史的な性格を有する鉄道史の本 [ふるさと]

鉄道関係の本、意外に郷土史的なことを扱っています。
おやっと思うようなことが載っています。
保存版にふさわしいものの中からいくつか探してみました。


写真で見る北海道の鉄道上.jpg


写真で見る北海道の鉄道下.jpg


日本鉄道旅行地図帳.jpg


国鉄北海道ローカル線.jpg


北海道の鉄道軌道.jpg


北海道鉄道百景.jpg


北海道の大地から消えた鉄道風景.jpg


追憶の鉄路.jpg


北海道の鉄道廃線跡.jpg


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駅弁の想い出 [ふるさと]

駅弁と言えば、釜飯、カニ飯くらいしか覚えていない。


北海道駅弁リストによれば、旭川にたくさんの駅弁があったことがわかる。



代表的なものとして、特製日食弁当、旭岳べんとうがあったそうだ。


北海道鉄道百景という本に駅弁の写真が載っている。


駅弁1.jpg


駅弁2.jpg

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塩狩峠の想い出 [ふるさと]

塩狩峠には三種類の想い出がある。


一つ目は、三浦綾子の小説「塩狩峠」を読んだ想い出である。
列車が暴走し始めたことに気づいた車掌が、自身の犠牲を以て乗客を救うべく、平然と身を投げる作家の描写は冷静であり、読み手は感動以外の言葉を探すことは難しい。
ただし、小説で描かれていることがそっくりそのまま事実ではない可能性がある。


小説「塩狩峠」の事故の状況を教えてください
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4010586.html


「写真で見る北海道の鉄道」(上)にて、冬の塩狩峠を走る列車の写真を見ることができる。

塩狩峠.jpg


塩狩峠横.jpg




二つ目の想い出は、塩狩駅周辺で咲く桜を見た想い出である。

旭川の桜が桜の北限と言われているが、私は塩狩駅が北限ではないかと思っている。






三つ目の想い出は塩狩温泉の想い出である。

一度行ったことがある。無色無臭の温泉で、母が好きだった温泉だった。


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建築史家 川島洋一氏のこと [ふるさと]

旭川出身の建築家兼建築史家、川島洋一氏が今年7月8日に逝去されたとのこと。


主な著作は以下。

・くらしと建物ものがたり―旭山動物園の町旭川と北海道編
・ふ・る・さ・と あさひかわの建物
・旭川叢書 第16巻 あさひかわの建物 ときの流れをみつめて
・旧陸軍第7師団の建築
・名寄の古建築物



「ふ・る・さ・と あさひかわの建物」という本には、珍しい建築図面が掲載されている。

「くらしと建物ものがたり―旭山動物園の町旭川と北海道編」以外は、入手困難。


旧陸軍第七師団の建築物についての調査は、川島洋一氏の業績と思う。

旭川中央図書館は、旧陸軍第七師団資料の収集方法についてまとめている。


旧陸軍第七師団について調べる
https://www2.lib.city.asahikawa.hokkaido.jp/path/div.pdf

郷土史家には参考となるだろう。


なお、「旭川の歴史的建築の保存を考える会」の活動は継続されている。


旭川の歴史的建築の保存を考える会
https://genki365.net/gnka07/mypage/index.php?gid=G0000069

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旭山公園の桜 [ふるさと]

旭川で見られる公園の桜は、大規模なものとしては、常磐公園、神楽岡公園、旭山公園、春光台公園、花咲スポーツ公園、5箇所ある。




いつのまにか、こんなに増えたのかと驚いている。旭山公園以外は、比較的若い樹木である。せっせと植樹して、北限の桜を守ってきたのであろう。
公園緑化協会が管理しているそうだ。天下りみたいな組織を連想するが、地域の緑を守ることは、大切なことだ。



さて、このうち、旭山公園の桜については、先人による大量の苗木の植樹があって、現在に続いていることがわかっている。


村上久吉という郷土史家が書いた「旭川市史小話」には、第八五話「旭山の桜」と題して旭山公園の桜の苗木の由来についてこう書いてある。


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吉野の一目千本まではゆかぬが、旭山の桜は見事なもので、眺望のよいのと相まって道央第一の桜の名所である。このよき地をえらんで桜を植えた人に、森安太郎さんを推さねばならぬ。
森さんは愛媛県出身、明治六年七月生れ、二十五年屯田兵として東旭川に入地、三十九年に同地の役場に奉職、大正五年南富良野村落合郵便局町に転じ、昭和十八年十月、七十歳で旭川で病没した人であるが、明治の末のころ、旭川の発展とともにこの地の将来性を考えて、ベーパン、倉沼、上ベーパンの山々に訪ね桜の幼木を探して五百本を植えたもので、大正二年五月、時の中村道庁長官は木杯一個を贈ってこれを表彰して居り、東旭川村でもまた昭和三十六年、「顕彰培」と銘うって新型の彰碑を建てている。森さんにつづいて前市会議員の工藤力夫さんをあげる。
昭和十年、みその銘柄「旭山」正油「亀甲目萬」の醸造元の工藤さんがそのフサ夫人の三十三歳の厄年に当るので、ヤク払いに夫人と相談して「帯や着物は破れる、すたれる。そんなものより末広に茂り、いつまでも、自分らと村人らとともに喜べるから」というので、旭山に桜の植樹することを決め、羽幌桜の三年苗三百三十三本を、一時旭川神社に仮植え、苗を大きくし根を張らせて、十二年に青年団や婦人会の労力奉仕を得、参道ふもとより頂上まで植えつけたもので、ほとんど全部今に毎春満開の盛観を示している。二十九年の十五号台風には数本たおれたものもあったが、すぐ村で手を加えたおかげで皆いきいきとよみがえる。三十年、同氏の記念句碑が建てられる。その句
この岡や旭はおどる桜舞う。
このほか永山農業学校教諭の佐瀬清治氏がベーパンの一青年会員であったとき、事情は判らぬが動員せられて桜を植えるといい、東旭川屯田出身の快男児武田広氏も植えたことがあるという。ともに大正十年前後のころであろうか。とにかく心ある多くの人の善業が結集して今日の盛観を見るに至ったものであろう。

タグ:公園 花見 植樹
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