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マーブルチョコレートの想い出 [幼少期]

上原ゆかりちゃんという俳優がいた

もうテレビなどで見かけることはないが、この人のCMをみて当時はほっとしたことが何度もある

マーブルチョコ 上原ゆかり 1960年代 なつかしのCM
https://www.youtube.com/watch?v=3SRoHkLGRG4

近所の女の子とは、一人を除き、遊んでいてもちっとも楽しくなかった
途中でルールを変え、自分に有利になるようなことを平気で繰り返すからだ
素行が乱暴な女の子もいた

慰安婦問題の日韓合意で条約破り、ウイーン条約破りを平然と行う韓国政府と似ている

そんな女の子たちも年頃になると、そういう本性を隠して振る舞うようになる
が、私は、口を聞くのも嫌だった
彼女たちは、男に、3K(高学歴、高収入、高い身長)を求めた

私は、そういうタイプの女性は、ひと目見ただけで見分けがついた
女性は気づかないだろうが、私にはピンと来るものがある

結婚相手は、自分がそうであるにせよないにせよ、3K指向でない女性を選ぶ、これが私の絶対条件だった

その方が、年老いても生ごみ扱いされず、居心地がいいと考えたのだ

さて、上原ゆかりは芸能界を引退
還暦前後のはずだ

由美かおりみたいに、異常に若々しくはなくとも
ああいう雰囲気の方なら
年相応に美人ではないかと
思うのである


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幼馴染の女の子と二度目に出逢った想い出 [幼少期]

たった一度一緒に遊んだ幼馴染
と遊んだ翌週
私は熱を出し、病院にいくことになった。

初診の日はおそらく月曜日
経過を診るとのことで、二度目に外来に行った日
最初の出会いの日から数日後に
その幼馴染に
病院小児科の待合室で再会した

その女の子は、私より先に受付を済ませ
待合室の長椅子に座っていた
となりにお母さんがいた
髪はきれいに三つ編み
とてもかわいらしくみえた
その時代のかわいい女の子はみなそうだった

私は目の前に座っているその女の子の眼をみて
数日前に一緒に遊んだ女の子であることを確信
目で挨拶した
が、その事が、その女の子にとっては
とても都合が悪い出来事だったらしく
目の前にいる私を無視した

やがて名前が呼ばれ
その女の子とお母さんは診察室に入った

その日は、昭和35年12月13日(水)か14日(木)

おそらく

運命というものは
ともすれば同じ日を選ぶのでそう思うのだ


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昭和35年12月10日の想い出 [幼少期]

もうすぐ12月10日が来る

たった一度遊んだ幼馴染の人に、出会った日を確認すべく、昭和35年の暦のサイトを開いてみた

http://www.benri.com/calendar/1960.html

その可能性あった日は、土曜日
11月26日、12月3日、12月10日のどれか

その3日のうち、その日が12月10日であろうと気がついた

父は機嫌よく帰り現金を手にしていたので、おそらくボーナス支給日
外は強風だった
店の室内に石炭ストーブがあり、ストープの火は真っ赤だった
自分とあの幼馴染の人は共に分厚いコート手袋

12月10日であろうと確信した。

もう一つ、この日だと思える理由がある
運命は、ともすれば数字的に同じ日を選ぶ傾向にあるのだ


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駆け落ちして暮らしていた夫婦のこと [幼少期]

近所に、悪ガキの両親が間貸しする、安アパートがあった。
その安アパートに、当時、駆け落ちしてきたばかりの夫婦が暮らしていることを人づてに知った。

6畳一間のその部屋、日中は鍵もかけず、その夫婦は別々に働きに出ていた。
近所に、身元素性を隠し雇ってくれる工場がいくつかあった。
そういう場所があって、その夫婦は、そのアパートに住んでいたということになる。

ある時、我々悪ガキは、その部屋に忍び込むことに成功した。
なんと、そこには、交換ノートがあった。
互いの想いをノートに切々と綴っていたのである。

部屋には、家財と言えるものは何もなかった。
極端に言うとテーブルふとんと交換ノートだけ。
交換ノートは、二人の絆の象徴であり、家庭最大の財産だったのだ。

交換ノートの文面にはいろんなことが書いてあったように思う。
盗み見るのは悪いことであることは知っている。
が、ガキの私でもその文面から、彼らが他の平均的な夫婦よりは幸せであったことくらいは読み取れた。

私は、母にそういう夫婦が近所にいることについて、どう思っているのか聞いてみた。
母の話によれば、そういう人たちが世の中にたくさんいることを知っているようだった。

そのアパート、今は誰も住まない空き家となって放置されている。
建物自体は、その時のままである。

もちろん、駆け落ちして暮らしていた夫婦が、その後どうなったか、私は知る由もない。


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小学校の正面にあった文房具店の想い出 [幼少期]

私が6年間通った小学校の正面、道路を挟んだ市場のはずれに、その文房具店はあった。
その文房具店、実は駄菓子屋を兼ねていた。

店の客は、ほぼ100%小学生。大人が来る店ではない。
そして、儲かるような店でもない、
私が行く登下校時間帯、いつも小学生は数人居たような店である。

その店の店主の老夫婦、夫婦ともに年齢は75歳くらい、白髪交じり、おじいさんは背が高く、おばあさんはやや小太り、実に穏やかで温かな雰囲気の老夫婦だった。

今になって思えば、昔話の駄菓子屋みたいな感じだった。

おじいさんもおばあさんもとてもいい人だった。当時を懐かしむコメントを掲示板で読んだこともある。


店舗は、平屋の木造。建物面積はは20坪くらい。
店舗部分の面積は、4畳半くらい。レジは店の中央奥。店のドアは木造引き戸。

売っているものは、駄菓子屋としては、飴玉、ガム、キャラメルの類。
文房具は、鉛筆、消しゴム、シャープペンシル、定規、クレヨン。漫画本もあったように思う。

値が張るものは一切ない。

店主は、年齢から察するに、この世の人ではない。店舗建物はなく、跡地らしき場所には、別の建物が立っている。
既に、時代は大量生産、薄利多売の時代、小学校前の4畳半、老夫婦が経営する日本昔話みたいな店は、ビジネスモデル的に成立するはずもない。
我々は、温かなものを捨てて、社会的合理性を選んだのだ。

ただ、小学校を訪れたた際、どの場所であったか、正確に想い出せないものの、その駄菓子屋兼文房具店のことが気になって仕方がない。

始業時間になると、毎日のように、おばあさんが、何気なく、店先の外で、通りを眺め、信号機を渡る子供たちの姿を後ろから見つめているような気がするのである。


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